世界の伝統工芸「七宝」
宝石のように美しく輝く七宝。
繊細な金属細工に施された色があせることなく輝き、私たちの心を魅了する…
そんな七宝とは、どのようなものでしょうか?
七宝って、そもそも何?
七宝(しっぽう)は、主として金・銀・銅に、ガラス質の釉薬(ゆうやく)を約800~900℃で焼き付けたものです。金属工芸とガラス工芸の両方の性質を持っています。「金属に薄いガラスを焼き付けている」とイメージするとよいでしょう。
ガラス質の七宝は、色が半永久的に変わりません。豊富な美しい色、艶やかに輝くような質感が魅力です。技法も様々あり、多彩な表現ができます。
七宝釉薬は珪石(けいせき)、硝石(しょうせき)、鉛丹(えんたん)、ソーダなどの鉱物に顔料を加えたもので、色砂のようにザラザラしています。【写真1】それをホセと呼ばれる竹ベラですくい、銅や銀の素地(胎:たい)の上に薄く盛り付け【写真2】、通常約820度で焼きます【写真3】。焼成時間は温度と胎の大きさによって異なりますが、通常は1分ほどです。電気炉から出した七宝は真っ赤!冷めるにつれ本来の色に変わっていく様子を見るのは、ワクワク、ドキドキ!それも魅力のひとつです。
七つの宝って、なんのこと?
七宝は英語でエナメル、フランス語ではエマイユと言います。七宝という言葉は、仏典からきました。仏典では、金、銀、瑠璃(るり、ラピスラズリ)、瑪瑙(めのう)、しゃこ(貝)、真珠、まいえ(貝の一種)または珊瑚、玻璃(はり、水晶)、が七つの宝とされています。七宝は「それらの貴石にも似て美しい宝」という意味でつけられたと言われています。
七宝って、いつからあるの?
【古代】
七宝の歴史は非常に古く、エジプトのツタンカーメンの黄金のマスクに施された青いストライプ部分が最古の七宝と長年言われてきました。しかし、最近の研究で、その青いストライプは金属に焼き付けたものではなく、ニカワで貼り付けたもののようだと解明され始めています。現在は、ギリシャのキプロス島で発見された紀元前13世紀の有線七宝のリングを、現存する最古の七宝作品とする考えが主流になっているようです。発祥の地は不明のまま、ケルト美術や帝政ローマ、初期キリスト教美術に優れた足跡を残し、日本には6,7世紀ごろシルクロードを通り、中国、韓国から伝えられたとされますが、七宝の古代史には不明な部分が多々あります。
日本に現存する古代の七宝の名品は、正倉院の十二稜鏡 黄金瑠璃鈿背(じゅうにりょうきょう おうごんるりでんはい)とされています。非常に精巧な作品ですが、韓国製か日本製かは不明です。
【平安~江戸】
平安時代の七宝では、平等院鳳凰堂の扉金具(緑青が深く浸食した結果という知見もある)が知られていますが、遺物は多くありません。室町時代以降は、主として刀の鍔(つば)や釘隠し、ふすまの引手として作られました。江戸時代には、京都の平田道仁や尾張の梶常吉などが七宝研究を進めました。平田家は幕府の御用職人、明治以降は賞勲局御用達となって大正まで続きました。近代七宝の祖と呼ばれる梶常吉はオランダの七宝を研究、製法を会得し、それを弟子たちに伝えて尾張七宝の基礎を築きました。江戸時代では、桂離宮や大徳寺、修学院離宮のふすまの引手やくぎ隠し、日光東照宮の七宝装飾などが有名です。
見てほしい!日本の七宝の銘品たち!!
【明治】
明治になると、政府がドイツ人技師を招き、七宝を振興したこともあり、七宝の釉薬や技術が発達し、江戸時代からの伝統を引き継いだ京都、尾張で歴史的な名品がたくさん生み出されました。
ことに京都の並河靖之(なみかわやすゆき)【写真4・5】、千葉出身の濤川惣助(なみかわそうすけ)【写真6】は、万国博覧会など国内外の博覧会で金賞をはじめ数々の受賞をし、作品は富豪や美術館のコレクションの対象となりました。当時の巨匠たちの逸品は海外の所蔵が多く、ことにハリリ・コレクション(ナセル・ハリリ氏の個人コレクション)が有名です。
日本でも、近年「超絶技巧」の工芸として注目され始めたそれらの傑作の多くを、京都の清水三年坂美術館や東京の迎賓館赤坂離宮などで見ることができます。主な手法である有線七宝(クロワゾネ)は、細密な花鳥風月の絵柄に合わせて極薄の銀線、金線を折り曲げて、それらを壺や皿に焼き付け、焼き付いた輪郭線のなかに七宝釉薬を差し込んで焼成したものです。その緻密さとフォルムの多彩さ、色の美しさ、技術の高さには驚嘆するほかありません。また、一度植線した銀線を釉薬を施した後に取り除いて焼成する無線七宝(抜線法)も、日本画と見まがうようなぼかしの美を見せてくれます。どちらも気の遠くなるような熟練のたまものたちです。無線七宝の傑作は、迎賓館赤坂離宮の花鳥の間を飾っています。
しかし、その絶頂期は第一次世界大戦を機に終息。七宝の傑作群は一般の人に知られることがないまま、伝統工芸としての有線七宝が尾張や京都で存続してきました。【写真7】
並河靖之や明治の超絶技巧作品を見たい!
清水三年坂美術館
京都市東山区清水寺門前産寧坂北入清水三丁目 337-1
TEL:075‐532‐4270
開館時間:10:00~17:00
休館日:月曜、火曜(祝日開館)、年末年始、展示替期間
https://sannenzaka-museum.co.jp/
濤川惣助の無線七宝を見たい!
迎賓館赤坂離宮
東京都港区元赤坂2-1-1
TEL:03-5728-7788(テレフォンサービス)
公開時間:公開時間:10:00~17:00(入場は16時まで)
定休日: 原則水曜日(詳しくは迎賓館公式HPをご確認ください)
https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/
伝統工芸「尾張七宝」を見たい!
あま市七宝焼アートヴィレッジ
愛知県あま市七宝町遠島十三割2000
TEL:052-443-7588
開館時間:9:00~17:00 休館日:月曜日、祝祭日
https://www.shippoyaki.jp/
加藤七宝製作所
名古屋市西区香呑町4丁目31
TEL:052-531-1382
開館時間:9:00~18:00 休館日:土日祝
https://katoshippo.com/
【現代】
七宝の新たな展開が始まるのは1960年代ごろからでしょうか。趣味の七宝制作が全国的に広まり、有線七宝以外の技法もたくさん開拓され、アクセサリーをはじめ七宝パネル、七宝絵画などが作られるようになり、アートと見なされるようになりました【写真8】当工房の創立者、本村宗睦は、七宝工芸を美術の一分野として認知させることに尽力しました。伝統へのこだわりからの解放を唱え、金属の特質を生かした制作を推奨した宗睦は、土台の金属を打ち出してレリーフを作り、その上に七宝を施しました。透明感の高い七宝を通して金属の凹凸が見えることで、金工と七宝の特性がより発揮され、七宝独自の表現が可能になると考えました。【写真9】
現在は、七宝のランプなど現代の生活様式にマッチした七宝作品に移行する動きのほか【写真10】、彫刻的な七宝オーナメントが新しい表現世界として注目されています。伝統からの脱却を考える本村宗睦は、一枚の銅板に透かし模様を入れてユニークなフォルムに成形したあと、透かしの中に七宝釉薬を差し込んで焼く立体的な球面透胎七宝で、新しいアーティスティックな七宝の制作を提案しました。【写真11】
一方、春田幸彦氏は伝統の有線七宝によりながら、大胆なフォルムに緻密な植線を施した作品で、インパクトのある社会的メッセージ性の強い、新たな超絶技巧の世界を展開しています。【写真12】
また、日本ではこれまで作られてこなかった、ダイアモンドや宝石を組み合わせたエマイユジュエリーを中嶋邦夫氏が確立しました。アール・ヌーヴォーの七宝ジュエリーを思わせる、繊細で洗練された芸術的なエマイユジュエリーを制作、新たな七宝・彫金の世界をけん引しています。【写真13】
海外の七宝の銘品も見たい!
日本の七宝が刀の鍔や壺、皿などを中心に発展したのに対して、西洋の七宝はジュエリーや教会の聖具として高度な発達を遂げました。特にルネサンスに花開いたジュエリー技術は、英国のビクトリア女王時代やアール・ヌーヴォー期にさまざまな技法の七宝ジュエリーを生み出しました。これらはアンティークジュエリーとして愛好家の憧れとなっています。アール・ヌーヴォーの旗手として有名なルネ・ラリックは、ガラス作家になる前に、日本美術に影響を受けたと思われる歴史的な七宝ジュエリーをたくさん残し、アール・ヌーヴォー芸術の一分野を築き上げました。【写真14】パリのオルセー美術館には、七宝ジュエリーの他、皿や壺も展示されています。【写真15】
また、一流のジュエリーブランドでは七宝ジュエリーを初め、七宝を組み込んだ高級時計や眼鏡などが作られ、美術界では現代アートとしての自由な七宝制作も行われています。
今、わたしたちは何を目指すのか?
七宝は、趣味として初心者も楽しく制作できる長所を持つ一方、プロとしての高度な制作には、金属加工と七宝の両方の技術に熟達する必要がある難しい工芸でもあります。
当工房は、七宝の長所を現代生活に活かすことを考え、趣味としての七宝・彫金を多くの人に楽しんでいただきながら、新しい七宝の世界を目指して制作しています。宗睦の時代には七宝レリーフや七宝オーナメントを作っておりましたが、2代目3代目となる今は、より多くの皆様に七宝を日常的に楽しんでいただけるように、アクセサリーやジュエリーをメインに制作しています。